今になってわかること

 20代から30代の頃に勤めていた会社の社長のすごさが、当時は全く分からなかった。今では少しは理解できる気がする。

 彼は勤務していた約10年間で会社の売り上げと人員規模を何倍にも大きくした素晴らしい経営者であった。

 彼は東京外大でイタリア文学専攻とのことだった。私の知っている外大出身者はみな、英語がすごく達者で、彼は年始の挨拶・訓示では、いつも英語をたくさん入れて同じことをおっしゃっていた。それは大事なことだからだと思うし、今でも憶えている。要点は2つだけだ。

 一つは「我々は顧客のために存在する。」だった。

 当時20歳代の若造の私は生意気にも、その内容を聞いて理解した気になっていた。「当たり前のことをなぜこの人は説明しているのだろう。」と。当たり前すぎることをわざわざ社長が発言するということは実はその通りではないからではないのかと。いま改めて考えると、彼が本当に伝えたかったことを誰にでも理解できるように簡略化して伝えていたのだと思う。私が考える「彼が本当に伝えたかったこと」とは次のとおりである。合っているかどうかは彼に聞かなくてはわからないけど。

 「我々の製品の価値とブランド力、皆さんが提供するサービス、それらのすべてが素晴らしいから顧客に選ばれている。その結果、給料は業界内でも高い方である。だからと言って慢心してはならない。稼ぎのすべては顧客から選ばれた結果であるため、慢心すれば顧客は離れていく。」

 私は勝手にそのように受け止めている。なぜなら人は油断するものだからだ。自分が偉いとすぐに勘違いする。これを戒めるために彼は毎年この訓示を行っていたのだと思う。

 もう一つは「我々の組織はフラットである。」だった。

 当時の私がこの言葉を聞いて思ったことは、「あなたが社長で私はヒラ。フラットではないと思う。」で、あった。20代であった当時の私はすでにこの会社が4社目。(すべて円満退社だったのでその経緯を別の機会に書くこととします)前までの3社は1年以上2年以下の勤務しかしていなかったため、会社組織内の人間的上下関係をあまり感じることがなかった。最もこれら3社がこの会社と同じ「フラットな組織」であった可能性はなくはない。しかし平成一桁年の時代に「人間関係がフラットな組織」を訓示されていたことは驚きである。今考えてみればその理由は「ヨーロッパの本社の意向」だったのかもしれない。実際に工場人員との関係もフラットだったから。

 私がこのことを普通ではないと理解したのは、この後に勤務した会社が「従業員間に階層を設けて、従業員を一致団結させないこと」を実現していたからだ。しかもこの方法は普通であるとの証拠を異業種間交流などで得た。会社がある程度育って十分な収益を出せるようになると従業員はベースアップを願ってくるが、経営側としては当然ながらベースアップを低く抑えようとする。(この話も本題からそれるので別の機会に書きます)

 フラットな組織では役職、年齢、性別、国籍は無関係であり上下関係はなく、この会社では社内で人のことを役職でもしくは苗字に役職をつけて呼ぶことを禁止されていた。呼び方は苗字に「さん」をつけるだけ。同じ苗字の人が複数人いればフルネームのあと「さん」をつけていた。メールでもそうであった。今思うと多くの欧米資本の会社はすでにそうだったのかもしれない。(それを感じたのはのちの勤めた会社においてですがその話も別の機会に書きます)

 役職は、会社組織内で業務を遂行するための命令系統を定義するものであって、人格を定義するものではない。と、いうことを彼は言っていたのだと私は思う。

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